繁殖のきっかけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:09 UTC 版)
「アフリカナイズドミツバチ」の記事における「繁殖のきっかけ」の解説
アメリカ大陸にはもともとミツバチがおらず、ヨーロッパからの移民がセイヨウミツバチを持ち込んだものであり、熱帯の飼育には適していなかった。そこで1957年、ブラジルの生物学者、ワーウィック・カー(またはケール) (Warwick Estevam Kerr) はサンパウロ州にある研究所で、タンザニア原産のアフリカミツバチの持つ熱帯での生存能力に注目し、セイヨウミツバチと掛け合わせて、熱帯地方での養蜂に適した品種を作り出そうとした。 それが逃げ出し、ヨーロッパ人によって以前から養蜂のために持ち込まれていたセイヨウミツバチと交配してアフリカナイズドミツバチが生まれた。カーは産卵能力を有する女王蜂が巣箱から逃げ出さないよう隔王板(女王蜂より小さく働き蜂より大きな穴が空いた板)を設置していたが、たまたまそれを見た地元の養蜂家が飼育のじゃまになると考えて取り除いてしまったのがきっかけだという。なお、アフリカミツバチの種類は当初はApis mellifera adansonii と考えられていたが、その後の分析でA. m. scutellata であることが判明した。 カーとサンパウロ州の関係者は対策として、1965年~1972年、性質の温和なイタリアミツバチ Apis mellifera ligustica (Italian bee) 2万3千匹を地元養蜂家に配布して、アフリカミツバチの遺伝的要素を薄めようとした。その成果があがり、サンパウロ州を中心にアフリカナイズドミツバチの攻撃性が弱まっているとする報告もなされている。
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