経営者としてのキャリアのスタート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/22 06:30 UTC 版)
「チャールズ・サンガー・メレン」の記事における「経営者としてのキャリアのスタート」の解説
B&Lはボストン・アンド・メーン鉄道(B&M)にボストンまでの路線をリースすることで収入を得ていた。その経営策がB&Mをして自前でボストンまでの路線を建設させ、そのことについてニューハンプシャー裁判所で争われることになった。B&Lがこの訴訟に敗訴したときには、メレンは社長となっていた。 1887年、B&Lは独立した鉄道としての運行をやめ、B&Mに完全にリースされることとなった。1888年から1892年までの間にメレンは購買の担当であった。そしてユニオン・パシフィック鉄道(UP)のゼネラル・トラフィック・マネージャーとなった。UPでは、ダイアモンド・ジム・ブラディ(Diamond Jim Brady)と交友を結んだ。 1892年、メレンはニューヨーク・アンド・ニューイングランド鉄道(のちNHがリース)のゼネラル・マネージャーとなった。当時、同鉄道はNHと多少のトラブルが起きていた。同年11月、NHの社長であるチャールズ・P・クラーク(Charles P. Clark)は、商売敵であるメレンを引き抜いた。メレンはのちに「クラークは、ニューイングランドはもういやだと言っていた」と証言している。 NHの経営に参画したメレンは、NYCとの取引でNHに有利に事を運んだ。この件について、NHとNYCの取締役だったチョーンシー・デピュー(Chauncey Depew)はジョン・モルガンに不満を述べたことで、メレンはモルガンの注意を引くこととなった。 モルガンの祖父、ジョーゼフ・モルガンはハートフォード・アンド・ニューヘイブン鉄道(NHの前身のひとつ)の設立時の出資者であったという経緯から、モルガンは1891年にNHの取締役になった。
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