終焉 [編集]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/21 03:32 UTC 版)
「センターヴィル軍用鉄道」の記事における「終焉 [編集]」の解説
センターヴィル軍用鉄道が利用された期間は極めて短かった。マクレラン少将の動きに対応するため、1862年3月9日、ジョンストン大将はセンターヴィル高地の防衛陣地を放棄し、ラッパハノック川(Rappahannock River)の南への移動を命令した。この移動によって、マクレランが当初の計画していたラッパハノック川の河口付近への上陸は不可能となり、代わりに北軍が確保しているバージニア半島南端のモンロー砦に上陸し、そこから半島を遡り、ウィリアムズバーグを通過してリッチモンドに至るという計画に変更された。 3月11日、南軍は撤退を完了した。線路は可能な限り破壊したが、レールの多くは残したままであった。ブルラン川のトレッスル橋は破壊された。同日に北軍がセンターヴィルに入った。残ったレールは引き剥がされ、バージニア州内各所の線路の補修に使用するという決定が、一旦はなされた。
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