終焉 - 荘園と検地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)
「荘園 (日本)」の記事における「終焉 - 荘園と検地」の解説
1580年代以降、羽柴秀吉により全国的に検地が施行された(太閤検地)。 秀吉の太閤検地は他の戦国大名の検地と違い、1つの土地に1人の耕作者のみ認めようとした。しかし帳簿の上では1人になっても、領主に提出するものとは別に村内向けのより実態に近い帳簿が作成され、それに従って年貢が納められるなど、実際には依然として農村内で様々な権利関係が存在していた。 なお室町期以来、全国的に年貢の納め方は地下請が主流になっていたが、戦国時代ではこの地下請を引き継いだ村請(むらうけ。年貢は村単位でまとめて納入する)が採用され、江戸幕府もこれを継続した。
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