細合半斎とは? わかりやすく解説

細合半斎

江戸後期儒者伊勢生。名は離、のち方明、字は麗玉、号に斗南太乙眞人等。初め徂徠学唱えたが、のち清人孝證の説を唱える享和3年(1803)歿、74才。

細合半斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 09:00 UTC 版)

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細合半斎像 桑山玉洲

細合 半斎(ほそあい はんさい、享保12年(1727年) - 享和3年11月6日1803年12月19日))は、江戸時代中期の儒学者書家漢詩人である。

を離または方明、を麗王、は半斎の他に、学半斎・斗南・白雲山樵・太乙・武庫居士、通称は八郎右衛門または次郎三郎。伊勢の人。

略伝

書は松花堂昭乗の流れを汲む滝本流に私淑し、のちにこの流派の中興の祖とされた。京都から大坂に転居し、菅甘谷の門下となる。

詩文結社混沌詩社に加わり、多くの文人墨客と交わった。木村蒹葭堂の婚姻のとき媒酌人を務めている。私塾である学半塾を主催し、門下に篆刻家の曽谷学川、画家の桑山玉洲などが育つ。

また半斎は江嶋庄六あるいは細合八郎衛門の名で書肆として活躍。同じく書肆の藤屋弥兵衛と親交する。滝本流の啓蒙の為に『男山栞』・『滝本栞』などの法帖の出版に力を注いだ。

篆刻も嗜み、安永8年(1779年)には息子の長庵の編集により『半斎百信』が出版された。

享年79。

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