紀州医学館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:01 UTC 版)
紀伊国紀州藩が和歌山城下(現和歌山市)に設けた藩校。天明7年(1787年)、和歌山城内での医書講釈が起源である。寛政3年(1791年)、藩主徳川治寶により、現和歌山市本町三丁目に医学館を開設した。その後、同市雑賀屋町に移転した。藩内の医師子弟や門下生に漢方を教授するのみならず、天保年間(1830年 - 1844年)には館内に施薬局を設置し、貧しい領民に対して施薬するなどの支援も行った。明治2年(1869年)まで存続し、跡地の一部は後に神田病院(2013年2月28日閉院)となり、病院玄関口に碑が建てられていた。
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