紀元前111年から紀元前110年の戦争
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「ユグルタ戦争」の記事における「紀元前111年から紀元前110年の戦争」の解説
紀元前111年にローマの執政官(コンスル)となったルキウス・カルプルニウス・ベスティア(en)がローマ軍団を率いてヌミディアへと侵攻したところ、敢え無くユグルタは降伏したが、降伏したユグルタにとって有利な協定を与えた。ユグルタはベスティアを買収したようにも考えられる。 ユグルタは協定調印のためにローマへ到着した後、再び陰謀を図り、ユグルタに不利な証言を行おうとした護民官を買収し、ヌミディア王の有力な潜在的候補者であったユグルタの従兄弟にあたるマッシウァ(Massiva)の暗殺未遂事件を起こしたため、ユグルタはローマから追放され、ヌミディアへと戻った。 紀元前110年末から紀元前109年の初旬にかけて、プラエトル(法務官)であったアウルス・ポストゥミウス・アルビヌス(en)率いるローマ軍がヌミディアへ侵攻したが、ユグルタはローマ軍を撃破した。この際にもその年の執政官の親類者に対する賄賂などを行ったとされる。ユグルタはヌミディアの正当な支配者としてローマが認めるよう要求したが、元老院はこれを拒否した。
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