米軍による占領後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/29 17:57 UTC 版)
1944年8月3日にテニアンを占領した米軍は、海軍建設大隊の手によって飛行場を2日間で使用可能にし、さらに4本の8,590ft(2,590m)級の滑走路を建設した。 その後、ハゴイ飛行場はアメリカ陸軍航空軍の管理下に置かれた。米軍によってノースフィールドと改名されたハゴイ飛行場にはB-29戦略爆撃機が大量に配備され、1944年11月以降、グアム島のアンダーセン飛行場やサイパン島のアスリート飛行場、テニアン島のウエストフィールド飛行場と共に日本本土空襲を行う米軍の拠点の1つなった。 1945年5月には、第509混成部隊がテニアンに進出した。進出後、原爆投下の訓練を開始した第509混成部隊は、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎への原子爆弾投下作戦を実行した。
※この「米軍による占領後」の解説は、「ハゴイ飛行場」の解説の一部です。
「米軍による占領後」を含む「ハゴイ飛行場」の記事については、「ハゴイ飛行場」の概要を参照ください。
- 米軍による占領後のページへのリンク