米軍による空中写真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:38 UTC 版)
アメリカの諜報機関によって作成された沖縄の地形と軍事施設に関する詳細なターゲットマップ (縮尺1:25,000) は、1944年の9月29日と10月10日 (十・十空襲) で取得された空中写真に基づいて米陸軍が作成、1945年3月1日頃に配布された。しかし、首里の北の高地の空中写真については雲ばかりで使い物にならなかった。米軍はさらに1945年1月3日とそれ以降、数回によって空中写真を撮影している。1月3日の空中写真では、石嶺にほとんど滑走路らしきものを確認することは難しい。上陸した米軍は、多くの日本軍の軍事施設を占領・拡大し継続使用していくが、石嶺飛行場の場合は米軍による使用は確認できなかった。
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