第6代藩主・堀田正敦
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第6代藩主・堀田正敦は陸奥国仙台藩主・伊達宗村の八男であり、その経緯から若年寄、湯島聖堂再建の副奉行、『寛政重修諸家譜』などの編纂を務めるなど文教政策に携わっている。文化3年(1806年)には3000石を加増され、1万3000石の所領を領することとなった。なお、正敦は仙台藩の藩主に若年藩主が相次いだため、その補佐役も務めている。藩政においても5ヵ年に及ぶ倹約令を発し、藩財政再建に努めた。 正敦は文政8年(1825年)4月に城主格に任じられた。文政9年10月10日(1826年11月9日)、高島郡内の領地4000石余を下野国安蘇郡内に移された際、正敦は居所を父祖の地である佐野に移した。もっとも、佐野町は彦根藩領となっていたために、郊外の植野村に「佐野陣屋」(植野陣屋とも)を置いた。父祖の地への移転が認められ、さらにのちに加増されたのは、『寛政重修諸家譜』の編纂総裁を務めたことの論功行賞とされる。
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