第5回アメリカ横断ウルトラクイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 09:40 UTC 版)
「道蔦岳史」の記事における「第5回アメリカ横断ウルトラクイズ」の解説
「学生クイズ王」とテレビで称されたのは1981年の「史上最大!第5回アメリカ横断ウルトラクイズ」が最初。この大会では機内400問ペーパークイズで機内一位を獲得。第3CPハワイでは「クレーン宙吊り○×ドボンクイズ」にて第3代クイズ王宗田利八郎と対戦。苦手とする文学/歴史の問題を選択しないという宗田のフェアプレー精神に助けられた一面もあったものの宗田に勝利、アメリカ本土上陸を果たす。第5CPラスベガスでのラスト抜けなど苦戦した戦いもあったが、準々決勝のメンフィスまで勝ち残る。メンフィスではその若さ・世代の違いが弱点となり、エルビス・プレスリーの事跡を辿るという「メンフィス・ダウンタウンツアー・ハートブレイク・クイズ」に苦戦し、問題をあと1問残して敗北。同年の落合義和とともに失格が決定し9月17日帰国した。
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