第3回総会
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1962年10月22日、第3回総会が開かれ「典礼について」の草案をめぐっての議論が開始した。これによって保守派と進歩派の対立が明らかにされた。 「保守派」と言われたのは、事務総長のフェリチ、ルッフィーニ、オッタヴィアーニ、シリなど教皇庁系のイタリア人枢機卿ら、アイルランドのブラウン枢機卿、スペイン系、北米、南米の教父たちであった。ローマのラテラン大学も同意見であった。 「進歩派」と言われたのは、ベルギーのスーネンス、オランダのアルフリンク、フランスのリエナール、ドイツのフリンクスやデフナー、ベアなどの中央ヨーロッパ系(「ヨーロッパ同盟」と呼ばれた)や少数の北イタリアの教父たちであった。その他、オランダのスキレベークス神父やフランスのコンガール神父、ドイツのラーナー神父などもいた。ローマのグレゴリオ大学も同意見であった。
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