第2次田中角栄内閣防衛庁長官
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「宇野宗佑」の記事における「第2次田中角栄内閣防衛庁長官」の解説
1974年(昭和49年)11月、第2次田中角栄内閣で、防衛庁長官として初入閣。防衛庁長官として、第十雄洋丸事件では海難事故で炎上した石油タンカーを撃沈する指令を出した。内閣は29日で終わり、離任式で宇野は「国を守る防衛長官がどうしてくるくる代わるのか」と話した。 1974年(昭和49年)12月に田中角栄に代わり、三木武夫が自由民主党総裁に就任すると、自民党国会対策委員長に就任した。まもなくロッキード事件が発覚。野党から執拗な追及を受け、国会対策委員長の仕事は非常に多忙であった。
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