第2次犀川事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/02/24 08:10 UTC 版)
犀川事件(第1次犀川事件)によって、治水計画は見直され、1937年(昭和12年)に完成する。翌年の1938年(昭和13年)7月、長良川の洪水と大雨による堤防内の水がたまったことにより、本巣郡南部(現瑞穂市)一帯は水没してしまう。この影響により、新水路(新犀川)の堤防が決壊寸前となってしまう。この為、堤防を守る為に新犀川の調節水門を開けたい上流側(本巣郡)の住民と、上流側の水を流させないために調節水門を閉め続けたい下流側(安八郡)の住民とで、調節水門付近で対立し、一触即発の事態となる。 幸い流血事態とはならなかったが、両住民に大きなしこりを残すことになったという。
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