第11集団軍の攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
騰越方面への第一次反攻に失敗した遠征軍は、第11集団軍の全力をもって、拉孟、鎮安街、龍陵、芒市等を目標として、6月10日に一斉に怒江を渡河した。この頃第56師団は、そのほとんど全力を挙げて第20集団軍と激戦中だった。第11集団軍の攻勢は師団防備の虚を衝いた形となり、戦局はにわかに急迫した。 龍陵には、騰越方面に転用された荻尾大隊(松井連隊の第3大隊)の残置者など合計約300名がいたに過ぎなかったが、ここへ遠征軍第71軍の2個師(第87、88師)が攻撃を開始した。第56師団長の松山中将は、新たに師団に配属された藤木大隊(第2師団歩兵第29連隊第2大隊)を龍陵に急派した。龍陵には過去2年間の防衛期間に堅固な陣地が構築されていたが、6月12日から開始された遠征軍の空地からの総攻撃の前に、寡弱な兵力の守備隊は陣地の大部分を放棄しつつ戦線を縮小し、15日頃には全滅の危機に瀕していた。
※この「第11集団軍の攻勢」の解説は、「断作戦」の解説の一部です。
「第11集団軍の攻勢」を含む「断作戦」の記事については、「断作戦」の概要を参照ください。
- 第11集団軍の攻勢のページへのリンク