第五話 大和大納言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 13:44 UTC 版)
他の多くの身内と同様、貧農の境遇から引き上げられた秀吉の異父弟の秀長は、粗漏な者ばかりの秀吉の一族の中で例外的に高い才覚を備えていた。独創性はないものの命ぜられたことは何でもそつなくこなし、その仕事には落ち度というものが無い。さらにその人柄は温厚で篤実であり、弟として損な役回りを押しつけられることも多かったものの、不満を口にすることもなく黙々と兄を補佐し続けた。野心というものをまるで持たずに静かに自分を支えてくれるこの弟ほど秀吉にとってありがたい存在はなく、秀吉は秀長に対して誰よりも強い信頼を寄せた。やがて生まれついての徳人といったその人柄は広く信望を集めるようになり、秀吉の累進に伴って舞い込むようになった無数の陳情をうまく裁き、秀長は卓抜した吏才を見せるようになる。難治で有名な紀伊国の統治もよくこなし、同じく難物で知られた大和国に移封された後は、こちらも見事に統治した。秀吉の見る所、秀長は天性の調整家であった。大納言の官位を朝廷から賜り「大和大納言」と尊称された後も数々の政治問題をうまく処理し、「豊臣家は大納言でもっている」とまで巷間称えられるようになる。しかし小田原征伐の直前に病に倒れ、ほどなく秀長は息を引き取る。さながら秀吉の影のように生きた弟は、兄に先立って世を去った。後年、関ヶ原の戦い前夜に豊臣家が分裂した際には、古株の家臣たちは「かの卿が生きておわせば」と早すぎるその死を惜しんだ。
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