第二次プエルト・アロンソの戦い
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「アクレ紛争」の記事における「第二次プエルト・アロンソの戦い」の解説
1903年1月8日、プラシド·デ·カストロ率いる反乱軍は、プエルト・アロンソを包囲した。プラシド·デ·カストロは、攻撃開始まで1週間の猶予を与え、降伏を促したが、リノ・ロメロはこれを拒否した。 1月15日、朝から反乱軍は攻撃を開始した。銃の性能で劣る反乱軍は、ボリビア軍の弾薬を消費させるため、銃撃戦を続けた。反乱軍は前線の兵を交代制にし、昼夜を問わずボリビア軍の陣地を射撃させた。 一方で、ボリビア軍は、昼夜を問わない銃撃戦で長時間、緊張状態に置かれ、食料、弾薬も減少し、疲労困憊の状況に陥った。銃撃戦は、1月23日まで続き、リノ・ロメロは、援軍が来るまでプエルト・アロンソを維持することは不可能であると考えるようになった。 1903年1月24日、リノ・ロメロは降伏に合意した。
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