第一次・第二次遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/15 14:00 UTC 版)
高原がチンギス・カンによって統一されて初めて定住民に行われた遠征であったが、結果は芳しくなかった。都城の守備を固める方針をとった西夏に対し、攻城戦を知らないモンゴル軍は至るところで苦戦を強いられ、思うような戦果を上げることができなかった。一度講和を結びモンゴルの宗主権を認めさせ、モンゴル軍は西夏から撤退したものの、1207年秋、西夏の貢納の遅れを口実に再びモンゴル軍は西夏に侵攻した(第二次遠征)。しかしこのときも依然としてモンゴル軍は攻城戦に苦しみ、西夏の国土の一部を荒らしたにとどまった。
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