第一次プエルト・アロンソの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 14:21 UTC 版)
「アクレ紛争」の記事における「第一次プエルト・アロンソの戦い」の解説
プエルト・アロンソのボリビア兵が弱体化していたのは明らかであったが、リオシノでの敗北に反乱軍の指導者たちはプエルト・アロンソへの攻撃に対して消極的であった。しかし、国境で足止めしていた船舶の船長たちが、反乱軍に対してアクレ川上流への航行再開を強く求めたため、反乱軍はプエルト・アロンソのボリビア軍を1900年12月24日に攻撃することを決定した。 1900年12月24日、反乱軍は夜明けと共に攻撃開始する予定であったが、濃霧のために遅れた。濃霧は、反乱軍がアクレ川を渡りプエルト・アロンソに接近することを隠した。午後、反乱軍は攻撃を開始した。プエルト・アロンソのボリビア兵で戦える者は100人程度で圧倒的に少数であったが、ここでもモーゼルライフルが威力を発揮し、奮戦した。14時になり、反乱軍はボリビア陣地を突破する寸前まで押し込んでいた。しかし、蒸気船の汽笛をボリビア軍の援軍と勘違いした反乱軍はパニックに陥ち入り、ブラジル領内へ後退してしまった。
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