競輪の存在さえ知らなかった高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 04:26 UTC 版)
「阿部良二」の記事における「競輪の存在さえ知らなかった高校時代」の解説
岩手県立大迫高等学校時代、松阪競輪場で行われた1970年の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・スプリント(当時はスクラッチ)で、小池和博に次いで2位に入った。しかし、阿部の生まれである岩手は当時、競輪に全く縁のない地であったため、顧問の先生に競輪選手になってみないかと勧められて、漸くその存在を知ることになったという。 日本競輪学校第29期生として1972年4月2日、取手競輪場でデビュー戦を迎えて1着となり、以後負け知らずの21連勝を記録した。なお、同校29期生から、特別競輪(現在のGI)優勝者を4人(加藤善行(岩手)、阿部、天野康博(新潟)、久保千代志(愛知))輩出したことを讃え、競輪マスコミから、花の29期生と名づけられた。
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