競輪におけるライバル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 01:32 UTC 版)
1992年の国際競輪グランプリ、寛仁親王牌(当時は非特別競輪扱い)で4戦連続吉岡にじかマークしながらも、吉岡についていくのが精一杯だった。西王座戦で吉岡は敗退。吉岡不在となった同年6月4日の第43回高松宮杯競輪決勝戦では、往時を彷彿させる2センター捲りを敢行して滝澤正光に迫るも、わずかに及ばず2着。翌6月5日、NHK朝7時のニュースで引退が報じられた。そして後日引退記者会見を行い、17年間の競走生活にピリオドを打った。
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