立花家千橘_(4代目)とは? わかりやすく解説

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立花家千橘 (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 06:34 UTC 版)

四代目 立花家 たちばなや 千橘 せんきつ

第23回彦八まつりにて(2013年8月31日)
本名 田井 利孝
生年月日 (1946-02-03) 1946年2月3日(77歳)
出生地 日本樺太
師匠 二代目露の五郎兵衛
名跡 1. 桂団丸
(1966年 - 1968年)
2. 露の団丸
(1968年 - 1993年)
3. 四代目立花家千橘
(1993年 - )
活動期間 1967年 -
活動内容 上方落語
所属 立花オフィス
公式サイト 立花家 千橘(たちばなや せんきつ)
備考
上方落語協会理事(? - 2018年)
上方落語協会顧問(2018年 - )

四代目 立花家 千橘(たちばなや せんきつ、1946年2月3日 - )は、樺太生まれの高知県名古屋市在住経験も在る)育ちの落語家。本名は田井 利孝。立花オフィス(一時師匠の事務所であった露の五郎兵衛事務所所属)所属、上方落語協会顧問。

来歴

三ツ組橘は、立花家の定紋である。

樺太の生まれで戦後まもなく高知県に引き揚げた。名古屋市立菊里高等学校定時制卒業。高校時代に演芸を知り大須演芸場に通うようになり1966年6月1日2代目露の五郎兵衛(当時は2代目桂小春団治)に入門、桂団丸を名乗る。1967年うめだ花月で初舞台。1968年、師が2代目露乃五郎を襲名したことに伴い、亭号を「露の」に改める。

1993年、4代目立花家千橘を襲名し、1951年2代目立花家花橘が死去して以来、上方では途絶していた亭号「立花家」を復活させた。立花家は従来三遊派に属する色物芸人(立花家橘之助はその一人)の亭号とされていたため、襲名に際しては8代目橘家圓蔵[1][2]の許諾を得ており、2015年現在圓蔵一門の分家扱いになっている。また同時に大阪の演者としては、4代目大阪屋町人を襲名した。

デビュー当時は名古屋なまりが酷かったが克服している。音曲・舞踊にも通じ、杵屋長唄松本流御殿舞を長く続けている。

年に一度、10月にワッハホールにて独演会開催。他にも講演会や土佐武寄席も開催。最近の高座では、特に芝居噺に力を入れている。

芸歴

出典

  • 『上方落語家名鑑』(やまだりよこ著、出版文化社、2006年)
  • 『もうひとつの上方演芸』(大阪ゲラゲラ学会、1997年)

脚注

  1. ^ 2015年に逝去した時点でも前名の月の家圓鏡の名の方が通用したほど、一世を風靡した東京落語家。入門して間もない橘家竹蔵時代、師匠の7代目圓蔵にお伴をする形で戎橋松竹に出演した際、当時桂春坊と名乗っていた2代目五郎兵衛と知り合い、友人となっていた。
  2. ^ 上方落語の亭号である「橘家」と「立花家」、及び「橘ノ」はいずれも江戸落語の三遊派の傍流に当たるが、8代目橘家圓蔵とその師匠である7代目は初代三笑亭可楽からの流れであり、三遊派とは異なる。

関連項目

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