稲垣長賢とは? わかりやすく解説

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稲垣長賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 03:25 UTC 版)

稲垣長賢

稲垣 長賢(いながき ながかた、1899年明治32年)7月18日[1] - 1982年昭和57年)3月12日[1][2])は、大正から昭和期の農林技官政治家華族貴族院子爵議員

経歴

志摩鳥羽藩主家当主・稲垣長昌の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1940年(昭和15年)12月28日、子爵を襲爵した[1][3][4]

1924年(大正13年)東京農業大学本科を卒業[2][3]。同年、農林省畜産試験場助手に就任[2]。以後、山形県農林技手、農林省嘱託、帝国畜産会理事などを務めた[2][3]

1943年(昭和18年)1月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選[5][6]研究会に所属し調査部第五部理事を務め[2][7]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

その他、養鶏組合中央会技師に就任し、以後、同会の奨励部長、出版部長、検査部長、事業部長、同会理事などを務めた[2][7]

親族

  • 先妻:順子(おさこ、芝山家13代当主芝山孝豊長女)[1]
  • 後妻:和子(かずこ、武田留五郎長女)[1]
  • 長男:長克[1]
  • 母方祖父:稲垣長敬

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』175-176頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』36頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』イ212頁。
  4. ^ 『官報』第4195号、昭和15年12月29日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、51頁。
  6. ^ 『官報』第4797号、昭和18年1月12日。
  7. ^ a b 『その頃を語る』322頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『その頃を語る:旧貴族院議員懐旧談集』尚友俱楽部、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
稲垣長昌
子爵
鳥羽稲垣家第3代
1940年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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