稲垣長興とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 稲垣長興の意味・解説 

稲垣長興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/29 07:13 UTC 版)

 
稲垣長興
時代 江戸時代後期
生誕 寛政9年7月27日1797年8月19日
死没 嘉永2年11月29日1850年1月12日
改名 長興、欽心斎(号)
官位 和泉守
志摩鳥羽藩世嗣
氏族 三河稲垣氏
父母 稲垣長続稲垣長以養女・勝
兄弟 長興、鑓、久五郎、京極高聡継室、
小笠原孫三郎室、勇三郎、長剛、環、
松平乗顕継室
松浦清
テンプレートを表示

稲垣 長興(いながき ながおき)は、江戸時代後期の志摩国鳥羽藩の世嗣。官位和泉守

略歴

4代藩主・稲垣長続の長男として誕生した。母は稲垣長以養女(三浦前次の長女)・勝。正室は松浦清の娘。

鳥羽藩嫡子として生まれた。しかし、大田南畝の随筆『半日閑話』[1]によると、文化14年(1817年)9月9日、江戸城から麹町の上屋敷に戻ってきた後、突然正室を斬りつけ、止めようとした女中2人も負傷させ、庭から外へ逃げ出し、行方不明となった。屋敷内で騒動となり、追っ手が差し向けられ、3日後に両国橋の下でサツマイモを食べているところを発見され、連れ戻された。狂気の沙汰であろうとの評判で、正室の実家・松浦家からも娘の安否をうかがう使者が昼夜を問わず訪れていた[2]

その後、文政元年(1818年)病弱を理由に廃嫡され、代わって弟の長剛が嫡子となった。以後、欽心斎と号する。

嘉永2年(1849年)、53歳で没した。

脚注

  1. ^ 「増訂半日閑話」巻之十五「稲垣若狭守嫡子亂心」 - 『蜀山人全集 巻3』(吉川弘文館、1908年)p.313-314
  2. ^ 永井義男江戸の醜聞愚行 第41話 大名の子息が乱心



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「稲垣長興」の関連用語

1
10% |||||

2
10% |||||

3
8% |||||

稲垣長興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



稲垣長興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの稲垣長興 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS