稲垣清_(陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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稲垣清 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 08:07 UTC 版)

稲垣 清
生誕 1875年6月14日
日本 東京府
死没 (1946-05-28) 1946年5月28日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1896年 - 1926年
最終階級 陸軍中将
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稲垣 清(稻垣 清、いながき きよし、1875年明治8年)6月14日 - 1946年昭和21年)5月28日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲三等功四級[2]

経歴・人物

東京府人・稲垣道生の長男として生まれ、1893年(明治26年)家督を継ぐ[2]1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][3]。のち1902年(明治35年)11月に陸軍大学校第16期卒業[1][3]

陸軍戸山学校同歩兵学校各教官、1915年大正4年)10月に若松連隊区司令官を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐歩兵第24連隊長(第12師団)に任官[2][3]。連隊長としてシベリア出兵に参戦し、ハバロフスクおよびブラゴベシチェンスクを占領した[1]

その後、1919年(大正8年)4月に第12師団参謀長、1922年(大正11年)2月に陸軍少将・歩兵第13旅団長、1924年(大正13年)2月に第18師団司令部附、1925年(大正14年)5月に第12師団司令部附を経て、1926年(大正15年)3月2日に陸軍中将に昇進と同時に待命、同月22日に予備役に編入した[1][3]

栄典

脚注

  1. ^ a b c d e 『日本陸軍将官辞典』90頁。
  2. ^ a b c 『人事興信録』第8版、イ191頁。
  3. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』127頁。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。



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