稚児桜伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 06:46 UTC 版)
「浄安寺 (さいたま市)」の記事における「稚児桜伝説」の解説
当寺には、児玉南柯が著した『漂客紀事』の版木を所蔵している。これにまつわる伝説が残されている。 昔、浄安寺には枝垂桜の大木があった。ある日、寺の小僧である「浄念」が鐘を撞いたところ、桜の木の前に一人の美少女が立っていた。浄念はこの少女に一目ぼれし、何回も逢っていた。 一方、岩槻藩では藩儒(藩所属の儒学者)の児玉南柯が、清国の難破船を救助した記録書『漂客紀事』を書きあげ、藩主に提出した。藩主は直ちに刊行を命じた。しかし、版木にするのに手頃な木が無かった。藩主は「浄安寺の桜の木を使えばいい」と指示したので、南柯は当寺住職に頼み込んでこの桜の木を伐採した。 木が伐採された夜、浄念の夢の中に例の少女が現れ、「実は、自分は桜の精であり、木が伐採されてしまったので、もう逢うことはできません。」と言い残し、消えてしまった。浄念は少女の幻を追い、いつしか寺からいなくなってしまったという。
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