秦~魏晉南北朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:25 UTC 版)
秦帝国の時代、始皇帝が開始した郡県制により、燕の地は「広陽郡」と名を変えた。しかし、以前の燕のように政治の中心地とすることはなく、北方の騎馬民族(匈奴など)に対する要としての役割を果たした。また、同時に燕・趙が築いていた長城を連結させ、今に残る「万里の長城」を作り、匈奴との国境を定めた。 漢の時代、現在の北京市周辺地域は、秦帝国時代と同じような扱いを受け、北方の要として重要な位置づけであった。また、漢王朝が滅亡し、三国時代や魏晋南北朝時代頃になると兵家必争の地となった。
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