私立愛知薬学校時代
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「名古屋薬科大学」の記事における「私立愛知薬学校時代」の解説
1890年6月: 私立愛知薬学校と改称。 1894年8月: 日清戦争で講師の大半が出征、無期休校に。 1895年10月: 再発足、藤本理 (元校長) 経営の愛知薬学舎と合併。 1913年9月、薬剤師試験規則の改正規則が発布された (文部省令第29号。施行は1921年10月1日から)。試験の受験資格を、中学校 (または 4年制以上の高等女学校) 卒業後に 3年制以上の薬学校を卒業した者に限る内容で、乙種薬学校は 3年制薬学校 (あるいは薬学専門学校) への昇格を迫られることになった。 1918年10月: 3年制薬学校への昇格を断念、本科生募集を停止。 1919年4月: 速成科 (修業年限2年) を設置。 1921年4月: 在校生全員卒業。 1921年7月15日: 愛知薬学校廃校。 1921年11月14日: 愛知薬学校完結式を挙行。校舎の一部、器具器械一式を愛薬会 (愛知薬学校出身薬剤師会) に寄付。 1922年10月: 愛薬会、校舎の一部を聚福院境内に移築、「愛薬記念館」 開館。東区松山町 (現 東区東桜)。
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