神長官裏古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:21 UTC 版)
屋敷の裏にある7世紀中頃の古墳。東西径9.5m、南北径9mだが当初はさらに大きい円墳であったと考えられる。横穴式石室が開口している。1924年(大正13年)の調査時に木棺破片、直刀、小刀子等が出土し、平安時代以降の土器片(後世の奉斎品か)も言われている。家伝では丁未の乱の後に諏訪に逃亡して守矢氏に養子入りした物部守屋の次男・武麿の墓とされている。1977年(昭和52年)に茅野市指定史跡となった。
※この「神長官裏古墳」の解説は、「神長官守矢史料館」の解説の一部です。
「神長官裏古墳」を含む「神長官守矢史料館」の記事については、「神長官守矢史料館」の概要を参照ください。
- 神長官裏古墳のページへのリンク