神籠石系山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 18:50 UTC 版)
「神籠石系山城」の名称は、初めて発見された高良山の遺跡の呼称に由来する。その後各地で高良山に似た列石や石塁の遺構が見つかり、これらを巡り霊域説・山城説に分かれて議論(神籠石論争)が展開されたが、現在では山城跡が定説となっている。百済の技術を基にした山城と見られる点では、この神籠石系山城も「広義の朝鮮式山城」の範疇に入る。現在見つかっているものは16ヶ所。遺構の特徴としては、切石を並べた列石を土塁の土留め石とする点や、列石区画の内側には特に建物跡が見られないという点が挙げられる。 これらの山城では年代を示す遺物の出土が少ないため、その存続年代が明らかでない。上記の朝鮮式山城と同様の7世紀後半頃と推測する説などがあるが定かではなく、朝鮮式山城・神籠石系山城の年代の前後関係が注目されている(詳細は「神籠石」を参照)。
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