神童も二十歳過ぎれば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 02:20 UTC 版)
「十歳(とお)で神童、十五歳(じゅうご)で才子、二十歳(はたち)過ぎればただの人」あるいは「神童も大人になればただの人」と言われることがある。これは、下記のような原因があると考えられる。 もともと神童と称される者は、運動能力、学業成績などが同年代の者に比べて現時点で優れていることを意味し、持っている能力が特別に優れているとは限らない。要するに、能力が優れているというよりも、同年代の者よりも成熟が早いだけという場合がある。いわゆる単なる早熟の人間が、少年時代に神童と呼ばれる場合が多くあるため、このような言葉が出来たと考えられる。 子供が示せば驚異的で奇偉な能力でも、大人では一般的で平庸な能力である場合が多い。例えば、3〜4歳の子供が写実的な油絵を描けばそれこそ神童だが、その能力だけを持ったまま大人になっても誰も注目しなくなる。 記憶力や言語学習能力など、全般的に大人より子供の方が優れる能力がある。そのような能力で並外れた能力を示したとしても、大人になれば衰えてしまう。 天才少年として幼少年時代を演奏旅行にあけくれたモーツァルトのように、神童と呼ばれる子供はその才能故に偏った生育歴を送ることがあり、その影響も考えられる。ウィリアム・ジェイムズ・サイディズや金雄鎔のように、早くして社会から身を引き、静かな晩年を過ごす例も見られる。
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