神山游撃隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/04 04:21 UTC 版)
アピで漢方医をしていた郭益南(英語版)は、日本占領下で秘かに抵抗運動を組織し、1943年4月に同組織のメンバー・林廷法、フィリピン人イスラム教徒のマラジュキン Imam Marajukimを介してアメリカの植民地であるフィリピンのタウィタウィ島に渡り、極東米軍第10軍区第125歩兵連隊(司令官・A.スアレス(Suarez)中佐)に入隊した。 郭は同年5月にいったん帰国してゲリラ組織「神山游撃隊 Kinabalu Guerrilla Force」を結成した後、西海州で資金を集めて再びタウィタウィ島へ渡り、スアレス中佐に武器援助の約束を取り付けて同年9月21日にアピに戻り、メンガタル(英語版)にゲリラの本拠を置いて組織拡大をはかった。またアピ沖合ではマラジュキンらがマンタナニ島(英語版)、ウダール島 Udar Island、スルーク島(英語版)などのバジャウ族、ドゥソン・カダザン族、ビナダン族、スールー族を糾合しつつあった。 しかし、まだフィリピンからの武器が届かず、隊列が揃わないうちに、「日本軍が近く華僑壮丁3,000人を徴用する」との情報がもたらされた。情勢の切迫を受けて、郭は、華僑の士気が高まる双十節(10月10日)を期して決起することを決めた。
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