祖:水野村ノ吉五郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:46 UTC 版)
幕末の頃、東春日井郡水野村(現在の瀬戸市水野地域)に吉五郎(加藤吉五郎とも)と呼ばれる者が博徒の親分となる。一説には東濃地方の梅屋一家の子分であったとされるが確かではない。この頃は一家名はなく吉五郎の子分に北熊ノ実左衛門こと近藤実左衛門、瀬戸ノ愛吉こと井上愛吉、今村ノ伊三(今村ノ伴三とも)がいた。明治初年頃、吉五郎は跡目を近藤実左衛門へ譲り、1884年(明治17年)に没する。実左衛門は明治維新の際、尾張侯の越後隊へ加わり会津戦争へいったため、費場所を今村ノ伊三へ預けた。愛吉は自分より格下の伊三へ費場所を預けられたことに不満を持っていた。実左衛門が戦争より帰ると親分の“吉五郎一家”を名乗らず自身の住所である愛知郡北熊村(現在の長久手市北熊)をとり“北熊一家”を名乗った。これに対し愛吉は実左衛門を絶縁し、自身の住所である東春日井郡瀬戸村より“瀬戸一家”を名乗った。これより瀬戸一家と北熊一家は大いに勢力争いをしていくこととなった。
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