社会階層の変動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 16:17 UTC 版)
戦乱による宗教施設の破壊と社会的混乱は、社会階層にも変化をもたらした。13世紀末より、ビルマではトゥイクと呼ばれるパガン周辺の開拓地を中心に、アティーもしくはアサニャと呼ばれる平民階層が形成されつつあった。従来より存在する、国家の支配下に置かれたクヤワン(支配者層への隷属の度合いが強い領民)階層とみなされない住民がアティーと呼ばれ、彼らは自己の財産について一定の権利を有していた。自身が獲得、開発した土地を持ち、土地の所有権をめぐって政府と対等に争った例も残る。 寺社仏塔の一部である仏塔奴隷の中には、戦乱による混乱の最中に奴隷身分から解放された者もいた。彼らはかつて開発に従事していた宗教用地を私有化し、やがてアティー階層に吸収されていった。
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