碑学の啓蒙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:25 UTC 版)
康有為は32歳の時、包世臣の『芸舟双楫』に倣って『広芸舟双楫』(光緒19年)を著した。これは碑学派の立場から述べられた中国書道史論である。その中では帖学を否定し、碑学の啓蒙に努めている。王羲之の真跡を学ぶにあたって、人の手によって復刻を重ねてきたた法帖は既に真跡から遠くなり学ぶに値しないと斥け、王羲之と同時代の六朝期の碑文こそが最も真跡に近いとしてこれを学ぶことを推奨している。その上で漢代から六朝期の代表的な碑文を取り上げて詳細な説明を加えている。揚州八怪のうちの金農と鄭燮を碑学派の先駆とし伊秉綬と鄧石如がその開祖であると主張して、さらに鄧石如の篆書と楷書を最も高く評価している。
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