石破茂のベトナム及びフィリピン訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 08:22 UTC 版)
日付 | 2025年4月27日~2025年4月30日 |
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場所 | ![]() ![]() |
種別 | 外遊 |
関係者 | |
結果 |
石破茂のベトナム及びフィリピン訪問(いしばしげるのベトナムおよびフィリピンほうもん)は、時の日本国の内閣総理大臣であった石破茂が、日本の大型連休(ゴールデンウィーク)に合わせて[1]2025年4月27日から同月30日にかけて行った、ベトナム(27~29日)及びフィリピン(29・30日)への公式訪問である。日本の外務省は「石破総理大臣のベトナム及びフィリピン訪問[2]」と称しており、石破は、両国で首脳会談に臨んで両国と安全保障面での協力深化で合意した。なお、本記事では同行した首相夫人の石破佳子の動向にも一部で触れる。
背景
この訪問は、2025年4月23日に内閣官房長官の林芳正が記者会見で正式発表した[3][4]。石破は、同年1月にマレーシアとインドネシアを訪れており、立て続けの東南アジア訪問となった[3][4]。
ベトナム訪問
4月27日の午前10時37分(日本時間)、石破は佳子夫人と共に政府専用機でベトナムに向け出発[5]。午後(以降現地時間)にハノイのノイバイ国際空港に政府専用機で到着した石破は、日本企業が多く進出するタンロン工業団地を視察し、企業関係者との車座対話に臨んだ[5][6]。その後、最高指導者のトー・ラム共産党書記長と会談するとともに、トー・ラム主催の夕食会に出席した[5]。同日は、同市のホテル・デュ・パルク・ハノイにて宿泊した[5]。
明くる28日午前、石破はハノイの英雄烈士慰霊碑、続けてホー・チ・ミン廟で献花した[7]。その後ベトナム国家主席府に移って歓迎式典に出席し、ファム・ミン・チン首相と首脳会談少人数会合、同拡大会合に臨んだ。首脳会談で石破は、チンに政府安全保障能力強化支援(OSA)の枠組みを活用した支援の方針を伝達した[8]ほか、チンが「日本は最重要かつ長期的なパートナーだ」と述べ、連携を深める考えを表明したのに対し、「自由で開かれたインド太平洋の実現や日越関係の強化に努めたい」と述べた[8]。また、両首脳は、最高指導者のトー・ラム共産党書記長が掲げるベトナムの「新しい時代」に向けて、人工知能(AI)やグリーントランスフォーメーション(GX)、防災などの分野で協力の可能性を模索することで合意したほか、大学や研究機関などと連携して半導体人材を育成することを確認した[9]。
日越首脳会合の後には文書交換式、共同記者発表が行われ、後者では石破が「地政学的要衝に位置するベトナムとの関係強化は地域の安定と平和に資する」と強調、チンが「包括的戦略的パートナーシップを新たな高みにするための方向性で一致した」と語った[10]。また、石破は「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序の維持強化に向けて協力していることを確認した」としたほか、チン首相は「経済、投資、貿易分野での協力を両国関係の主要な柱として深化させることで一致した」とも語った[11]。あわせて、会談に際してまとめられた共同プレスリリースでは、外務・防衛次官級協議(2プラス2)を創設し、年内に日本で初会合を開くことを明記するとともに、2023年11月に「包括的戦略的パートナーシップ」に格上げされた両国関係を踏まえ、国際社会の諸課題について包括的な協力を推進すると記述し、トランプ米政権の関税措置も念頭に「多角的自由貿易体制の維持・強化に寄与」することなどを盛り込んだ[9]。
その後、午前11時20分(日本時間同日午前1時20分)から約45分間、石破茂はルオン・クオン国家主席と前年11月にペルーで会談して以来の会談に臨んだ[7][12]。日本外務省の発表によると、クオンは、冒頭に再会を喜ぶとともに、ベトナム政府、国民を代表して石破総理の訪越を歓迎すると表明するとともに、日本がベトナムにとって最も重要なパートナーの一つであり、両国の包括的戦略的パートナーシップに基づく協力を強化していきたいと述べたほか、防衛交流や人材育成をはじめとした両国間の安全保障分野における協力が進んでいることを嬉しく思うとして、引き続き日本との協力を推進していきたいと表明した[12]。対して石破は、日越両国が法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序や多角的自由貿易体制を維持・強化することにコミットしており、両国の包括的戦略的パートナーシップに基づき、両国関係をさらに発展させていきたいと表明したほか、現下の国際情勢において、両国の安全保障協力がますます重要になっており、外務・防衛次官級協議(次官級2+2)の創設や防衛装備・技術協力をはじめとした防衛協力を強化していきたいとし、さらにGX(グリーントランスフォーメーション)といった新たな分野での協力を通じ、ベトナムの産業高度化を後押ししていきたいとも表明したとのことで[12]、アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)等を中心とした日越協力プロジェクトとして、洋上風力、連系線整備、バイオマス、JBICによる支援など官民合わせて総事業規模約200億ドルのプロジェクトを協力して推進していくことも表明した[13][14]。双方は、米国の関税措置やそれに対抗する中国の報復措置が世界経済や多角的貿易体制に与える影響を踏まえつつ、経済分野につき幅広く議論したほか、東シナ海・南シナ海情勢、核・ミサイル問題及び拉致問題を含む北朝鮮情勢、ミャンマー情勢、ロシアのウクライナ侵攻といった国際社会の重要課題への対応についても意見交換を行ったという[12]。
28日午後には、国会議事堂でチャン・タイン・マン国会議長と会談した[7][12]。日本外務省によると、石破茂は、日本が強みを有する防災分野における協力を進めていきたいと伝達したほか、日本企業が抱える諸課題の解決に向けて協力を求め、これに対し、マン国会議長は、これまでの日本のベトナムに対する支援に感謝の意を伝えるとともに、日本の投資・経済協力の深化と農業や人材育成等の協力強化への意向を表明したという[12]。双方は、大阪・関西万博の機会も活用して、政党間・議会間の交流を深めていくことで一致した[12]。
マンとの会談を終えた石破茂は、首相府で高付加価値産業創出に向けた日越協力フォーラムに出席し、その後は日越大学を訪問した[7]。同大学で石破は、日本文化などを学ぶ学生を「日本とベトナムの架け橋として活躍することを期待する。両国が協力して世界の平和と繁栄のために取り組んでいきたい」と激励した[15]。夜は、チン首相主催の夕食会に出席し、前日と同様ホテル・デュ・パルク・ハノイに宿泊した[7]。
29日午前7時20分(日本時間午前9時20分)から約50分間、石破夫妻はハノイのベトナム国立歴史博物館でチン首相夫妻と朝食会に臨み、ベトナム訪問を振り返りながら日越関係を 各分野で進めていくことを確認した[16]。その後、両夫妻はチン首相夫妻の案内で同博物館内を短時間散策し、展示物を鑑賞した[16]。その後夫妻は、チンらの見送りを受けたのち、政府専用機でノイバイ国際空港をフィリピンへ発った[17][18]。
フィリピン訪問
29日午後、マニラ国際空港に到着してフィリピン入りした[18]石破は、太平洋戦争後にフィリピンに取り残されて無国籍状態となった残留日系人のタケイ・ホセ(父親の出身地は大阪府)、マツダ・エステルリタ(同福井県)、テラオカ・カルロス(同山口県)とホテルシャングリラ・ザ・フォート・マニラで面会し[18]、「(多くの残留日系人の)国籍取得が実現していないことは非常に残念で悲しいことだ。一日も早く国籍取得や一時帰国が実現するよう取り組みたい」として、残留日系人が日本国籍を取得できるよう日本政府として支援を強化する方針を伝えた[19]。日本外務省によると、フィリピン残留日系人らからは、自身の生い立ちや御経験、日本人としての強い思いについて言及があった上で、日本の総理大臣と会うことで、祖国とのつながりを感じたなどと感謝の気持ちを述べたという[20]。その後、夫妻でリサール公園でホセ・リサール記念碑に献花し、マラカニアン宮殿で歓迎式典に出席、記帳した[18][21][22]。
同日には、フィリピンのボンボン・マルコス大統領と首脳会談少人数会合、同拡大会合に臨んだ。両首脳は、自衛隊とフィリピン軍との間で燃料などを互いに提供することが可能となる物品役務相互提供協定(ACSA)の締結に向け、交渉を開始することで一致するとともに、機密情報を共有するための協定について、政府間で議論を開始することを確認した[23][24]。石破は「フィリピンとわが国は海でつながれた隣人であり、ともにアメリカの同盟国だ。法の支配といった根幹となる価値観を共有し、安全保障や経済、防災分野での課題も共通している」[22]「今や日本とフィリピンは同盟に近いパートナーになったことを感慨を持って受け止めております」と述べた[23]ほか、自由で開かれたインド太平洋の推進とルールに基づく国際秩序の維持に向けたコミットメントを表明した[25]。また、米国の第2次トランプ政権の関税について石破は、「フィリピンの声にも耳を傾け、よりよい解決を目指したい」とマルコスに伝えた[24]ほか、共同記者会見では「東シナ海と南シナ海で力によって現状を変更しようとする試みに対抗するため、日本とフィリピンが今後も緊密に意思疎通を続けることを願っている」と語った[25]。マルコスは共同記者発表で、日本との安全保障協力に関して、「力強く誠実に平和を築くという我が国の目標に向けて日本は多大な支援をしてくれた」と感謝を述べた上で、両国の関係が「黄金時代」にあると表現し、「民主主義とルールに基づく国際秩序の維持という私たちの理想と願いを共有する日本との間で、強固な戦略的パートナーシップを継続していくことに期待している」と述べた[22]。共同記者発表後はマルコス主催の夕食会に参加し、シャングリラ・ザ・フォート・マニラに宿泊した[18]。
一方、総理官邸によると佳子は、フィリピンで義足を提供するインスタリム社を訪問したほか、歓迎式典後にイントラムロス博物館を訪問し、ルイーズ・アラネタ=マルコス大統領夫人と懇談を行った[21]。
30日午前、石破茂はシャングリラ・ザ・フォート・マニラで日系企業関係者と懇談し、その後午前11時50分(日本時間同日午後0時50分)、夫妻でラグナ州カリラヤにある比島戦没者の碑で献花した[26]。この碑を内閣総理大臣が訪問するのは初めてで、献花行事には在留邦人代表及び日本遺族会関係者も出席した[27]。
午後には、マニラの沿岸警備隊本部を訪れて日本が供与した巡視船を視察し、操舵室で活動状況の説明を受けたり日本の海上保安庁が能力向上支援の一環で行っている制圧術の訓練を見学するとともに、マニラに寄港していた海上自衛隊の掃海母艦ぶんごなどを訪れ、隊員を激励した[28]。また、午後3時10分(日本時間同日午後4時10分)から約30分間、石破は、円借款を通じて日本がフィリピン沿岸警備隊に供与した97m級巡視船テレサ・マグバヌア(Teresa Magbanua)、及び海上保安庁モバイルコーポレーションチームから派遣されている海上保安官によるフィリピン沿岸警備隊に対する技術指導を視察した[29]。石破夫妻はその後、政府専用機でマニラ国際空港を発ち[26]、午後10時22分、羽田空港着の政府専用機で帰国した[26][30]。
脚注
- ^ “石破首相、27日からベトナム・フィリピン訪問 訪中案から一転、「米離れ」つなぎ止めへ”. 産経ニュース. 産経新聞社 (2025年4月25日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破総理大臣のベトナム及びフィリピン訪問(令和7年4月27日~30日)”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “石破首相、27日から越比訪問 経済・安保で連携”. 時事ドットコム (2025年4月23日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “石破首相 27日からベトナム、フィリピン歴訪 トランプ関税協議へ”. 毎日新聞 (2025年4月23日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c d “首相動静(4月27日)”. 時事ドットコム (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “日越首相、28日会談 安保強化、関税で連携”. 時事ドットコム (2025年4月27日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e “首相動静(4月28日)”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “安保協力の強化確認 日越首脳、関税措置で連携”. 時事ドットコム (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “外務・防衛次官級協議を創設 日越首脳、安保協力強化で合意”. 時事ドットコム (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “日越、安保強化へ次官級協議 自由貿易の重要性確認―首脳会談”. 時事ドットコム (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相、東南アジアつなぎ留め トランプ関税で中国と綱引き”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g “石破内閣総理大臣とルオン・クオン国家主席及びマン国会議長との会談”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “ベトナムの脱炭素に2.9兆円投資 首相が表明、自由貿易の重要性確認”. 日本経済新聞 (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “日・ベトナム首脳会談”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相、日越大学生を激励”. 時事ドットコム (2025年4月28日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “石破総理大臣夫妻とチン首相夫妻との朝食会”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相、フィリピンへ出発”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e “首相動静(4月29日)”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相、国籍取得支援を伝達 フィリピン残留日系人と面会”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “フィリピン残留日系人関係者との懇談”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “石破総理大臣夫人によるフィリピン訪問”. 首相官邸ホームページ. 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c “石破首相 フィリピン大統領と会談 安全保障の協力強化で一致”. NHKニュース (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “日比首脳会談 安全保障分野での連携を一層強化へ”. TBS NEWS DIG (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “情報保護協定を早期締結 ACSA交渉入りで日比首脳合意―石破首相「米関税よい解決目指す」”. 時事ドットコム (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b “石破首相、フィリピン大統領と会談 安保・経済関係強化を協議”. ロイター通信 (2025年4月29日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ a b c “首相動静(4月30日)”. 時事ドットコム (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破総理大臣の比島戦没者の碑献花”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相、比沿岸警備隊を視察 海洋安保の連携アピール”. 時事ドットコム (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破総理大臣によるフィリピン沿岸警備隊視察”. 日本外務省(Ministry of Foreign Affairs of Japan) (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
- ^ “石破首相が帰国”. 時事ドットコム (2025年4月30日). 2025年9月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
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