石川難波麻呂とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石川難波麻呂の意味・解説 

石川難波麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 15:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
石川難波麻呂
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正四位下常陸守
主君 元明天皇元正天皇
氏族 蘇我氏
父母 父:蘇我連子
兄弟 蘇我安麻呂、虫名、宮麻呂難波麻呂蘇我娼子
豊人
テンプレートを表示

石川 難波麻呂(いしかわ の なにわまろ)は、奈良時代貴族大紫蘇我連子の子とする系図がある。官位正四位下常陸守

経歴

元明朝和銅4年(711年正五位上に叙せられ、和銅7年(714年従四位下・常陸守に叙任され地方官を務める。常陸守在任中の霊亀年間に、常陸国平城京から離れており調を貢納する脚夫が多量の路粮を必要とすることを理由に、郡発稲の名称で5万束の稲を別置して出挙に出し、利息を路粮に充当する制度を作っている。なお、これに対して主税寮太政官符に基づかない出挙は違法であるとして、制度は一旦停廃されるが、弘仁2年(811年)になって良い制度であるとして再開された[1]

元正朝に入っても、霊亀3年(717年)従四位上、養老3年(719年正四位下と引き続き順調に昇進している。

官歴

系譜

脚注

  1. ^ 『日本後紀』弘仁2年2月17日条
  2. ^ a b 中田憲信『皇胤志』

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石川難波麻呂」の関連用語

石川難波麻呂のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石川難波麻呂のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石川難波麻呂 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS