石川県史における記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 20:03 UTC 版)
昭和13年発行の「石川県史」1巻16ページ金石の項目に以下の記載がある。 …同郡に金石あり、旧名を宮ノ腰といふ。慶応二年大野と合併したるとき金石と称し、明治二十二年町村制の試行せらるるに及びて上金石となり、大正九年また金石と改む。宮腰の名は、式内大野湊神社がこの海岸に鎮座せしより起る。社稷はのちに波濤の浸蝕するところとなりしを以って、今の寺中の地に移れり。宮腰の名は夙く源平盛衰記に見え、金沢が城地となりて後その外港として益繁栄を極め、遂に商傑銭屋五兵衛をしてここに崛起せしむるに至れり。然りといへども、今や北海漕運の業また往時の如くなる能はず、行旅運輸ともに汽車を仮るの利便なるに如かざるを以て、町勢藩治のころに比して著しく不振の状態に傾けり。
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