石原留吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石原留吉の意味・解説 

石原留吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/29 08:36 UTC 版)

石原留吉

石原 留吉(いしはら とめきち、1875年明治8年)2月 - 1940年昭和15年)12月8日[1])は、高松市長

経歴

香川県木田郡西植田村(現在の高松市)出身。井口秀八の二男として生まれ、石原キクの養子となった[2]1896年(明治29年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、1904年(明治37年)に高等文官試験に合格した。岐阜県知事官房主事[3]千葉県君津郡[4]岡山県内務部第三課長[5]を歴任。

1909年(明治42年)に韓国政府応聘者となり[6]韓国併合後は京城府書記[7]慶尚南道事務官[8]、京城府事務官[9]新義州府尹[10]元山府尹[11]を歴任した。

退官後の1924年大正13年)から高松市長を務めた。

著書

  • 『京城案内』(京城協賛会、1915年)

脚注

  1. ^ 『昭和物故人名録』
  2. ^ 『人事興信録』
  3. ^ 『明治39年 職員録(乙)』印刷局、1906年
  4. ^ 『千葉県君津郡誌』下巻 p.826
  5. ^ 『明治41年 職員録(乙)』印刷局、1908年
  6. ^ 『官報』第7784号、明治42年6月8日
  7. ^ 『明治44年 職員録(甲)』印刷局、1911年
  8. ^ 『大正2年 職員録(甲)』印刷局、1913年
  9. ^ 『大正4年 職員録(甲)』印刷局、1915年
  10. ^ 『大正8年 職員録(甲)』印刷局、1919年
  11. ^ 『大正10年 職員録(甲)』印刷局、1921年

参考文献

  • 千葉県君津郡教育会『千葉県君津郡誌 下巻』千葉県君津郡教育会、1927年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。 
  • 『昭和物故人名録』日外アソシエーツ、1983年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石原留吉」の関連用語

石原留吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石原留吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石原留吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS