短刀〈銘 兼永/打関村正〉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
大阪府長野市某家蔵。村正が関を訪ねて関兼永と合作し、兼永の鍛えに焼入れは村正が施した例。ここでは村正が下位の立場になっている。大和国から来た手掻派の初代兼永(包永)は一説に美濃伝関鍛冶の始祖とされ(『元亀本』)、関に春日神社を勧請した人物で、その子孫の何代目かの兼永も文明年間(1469-1487年)に春日神社へ能舞台を寄進するほどの有力者だった。村正は関鍛冶出身だから、流祖の家系である兼永に対して当然下位になる訳である。押形『三重県刀工・金工銘鑑』所載。
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