真教寺 (那覇市)とは? わかりやすく解説

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真教寺 (那覇市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 14:42 UTC 版)

真教寺
所在地 沖縄県那覇市西2-5−21
位置 北緯26度12分53.1秒 東経127度40分14.6秒 / 北緯26.214750度 東経127.670722度 / 26.214750; 127.670722座標: 北緯26度12分53.1秒 東経127度40分14.6秒 / 北緯26.214750度 東経127.670722度 / 26.214750; 127.670722
山号 球陽山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 明治17年(1884年
開山 田原法水
法人番号 7360005000250
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真教寺(しんきょうじ)は、沖縄県那覇市にある真宗大谷派寺院

前史

1609年万暦37年・慶長14年)の琉球侵攻後、琉球王国薩摩藩の支配下に入った。宗教政策も1659年順治16年・万治2年)より薩摩藩のものが適用された。薩摩藩では日本全国共通のキリスト教禁教だけでなく浄土真宗も禁教の対象であった。禁教令以前に琉球に伝来した浄土系宗派は、袋中がもたらした浄土宗であったが、薩摩の侵攻などの混乱もあり教勢は振るわなかった[1][2]

琉球に浄土真宗が伝来したことが確認できる最古の記録は、1789年乾隆54年・寛政元年)に西本願寺第6代能化功存が尼講宛に出した書状である。以降、浄土真宗の門徒は増えていき、それに伴い摘発事件が相次いだ。1879年明治12年)に禁教令は正式に撤廃された[1][2]

歴史

1884年(明治17年)、田原法水によって開山された。法水は禁教令撤廃前の1876年(明治9年)より布教活動を開始、1884年(明治17年)に布教所を開設した。その後1889年(明治22年)に「琉球別院」[3]に改称し、1892年(明治25年)に「真教寺」に改称した[4]

1945年昭和20年)の沖縄戦で壊滅的打撃を受けた。1972年昭和47年)に再建された[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 沖縄の仏教・浄土真宗の歴史東本願寺沖縄別院
  2. ^ a b 宗務事務所本願寺沖縄別院
  3. ^ 現在の真宗大谷派の沖縄別院は2010年平成22年)に再設置されたものである。
  4. ^ a b 沖繩大百科事典刊行事務局 編『沖繩大百科事典 中巻:ケ-ト』沖繩タイムス社、1983年、476p

参考文献

  • 沖繩大百科事典刊行事務局 編『沖繩大百科事典 中巻:ケ-ト』沖縄タイムス社、1983年



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