真人町青年学級
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 08:07 UTC 版)
第二次大戦後、青年団文化部により発足。活発な時では、冬季間や農繁期に関係なく年間を通して活動。冬季は村の青年のほとんどが出稼ぎに出かける中、残った青年達が話し合う会などを持ちかけるなどして、自身の成長や集落の発展をと話がまとまり、地元小学校の教頭の指導と生徒の尽力が同青年学級の活性につながった。昭和31年からは『むじな』という機関紙を刊行する程となった。真人町は交通機関に恵まれておらず娯楽施設も無いため、こういった青年たちの熱心な活動は敬服の限りと前述した教頭は述べていた。春の農耕期を迎えると共に出稼ぎから青年達が戻ってくる際は、新入会員の歓迎会や年間の学習計画を検討するなどして、スタートをきっていた。
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