相馬氏統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:14 UTC 版)
1492年(明応元年)に、標葉氏は相馬氏に滅ぼされてそれ以後の室町時代後半から戊辰戦争終結後の版籍奉還まで、現在の双葉町域は相馬氏の統治下に置かれた。江戸時代の相馬中村藩政下では、浜街道の宿場町(長塚宿・新山宿)であった。 1600年(慶長5年) - 関ヶ原の戦いの前に西軍の上杉景勝を背後から牽制するため徳川家康の命により東軍の伊達政宗が自領へと戻るため、中立の立場を取っていた相馬氏領の浜街道を通過した。現在の浪江町の正西寺で饗応される。 1611年(慶長16年)10月28日 - 慶長三陸地震により発生した大津波が襲来し、相馬中村藩領で700人余が死亡する。 1697年(元禄10年) - 標葉郷を南北に分け、長塚に南標葉郷陣屋を置く。 1700年頃 - 長塚でダルマ市が行われ始めたとされる。 1793年(寛政5年)1月7日 - 寛政地震により津波が襲来する。
※この「相馬氏統治時代」の解説は、「双葉町」の解説の一部です。
「相馬氏統治時代」を含む「双葉町」の記事については、「双葉町」の概要を参照ください。
- 相馬氏統治時代のページへのリンク