盛岡市との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:46 UTC 版)
当村内には、盛岡市中央卸売市場や盛岡赤十字病院、岩手県立盛岡工業高等学校などをはじめ、「盛岡」の地名を冠した公共施設の立地も多かった。これに象徴されるように、従前から、当村と盛岡市とは一体となった生活圏に属してきており、合併の目的も、両者の間に分散している都市機能を集積するところにあった。地元の商工会議所などの経済界が積極的に合併を支援したことも、円滑な合併に資した。 旧都南村役場は、合併後は市役所の「総合支所」となり、従前の場所に存置。当初は住民生活と関連の深い部門(道路管理など)が残されたものの、これらの機能は現在残されておらず、支所の機能はほぼ窓口機能のみに限定されている(ただし、盛岡市教育委員会事務局は当総合支所内に入居)。 合併後の「新市建設計画」で、盛岡市は旧都南村地区へ重点的な公共投資を実施。土地区画整理事業や下水道整備事業が大きく進展したほか、慢性的な水不足問題を抱えていた固有の問題も、大規模なダムを擁する盛岡市との合併によって解消された。 ただ、旧都南村域に重点的な投資が行われていることに、旧来の盛岡市域の住民からは不満の声が寄せられることがある。
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