百武源吾とは? わかりやすく解説

百武源吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 07:03 UTC 版)

百武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年明治15年)1月28日 - 1976年昭和51年)1月15日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である(陸軍大将兄弟は皇族軍人で数例が、陸海軍を跨いだ大将兄弟は、西郷隆盛従道兄弟、鈴木貫太郎孝雄兄弟の2例がある)。


  1. ^ 『歴代海軍大将全覧』「第七章」
  2. ^ 『異色の提督 百武源吾』p19
  3. ^ 『異色の提督 百武源吾』pp30-31。なお福地誠夫によれば、百武は31期の少尉たちの訓練にあたったと述べている(『回想の日本海軍』「百武源吾大将の日露戦争懐旧談」)。
  4. ^ 他に29期首席溝部洋六、4席村瀬貞次郎、今村信次郎が選ばれている。
  5. ^ 『異色の提督 百武源吾』p42
  6. ^ 『異色の提督 百武源吾』pp124-126
  7. ^ 『提督 新見政一』「92歳の所感」
  8. ^ 『異色の提督 百武源吾』p171
  9. ^ 『異色の提督 百武源吾』p312。井上成美に同様の逸話がある。
  10. ^ 『異色の提督 百武源吾』p164
  11. ^ 『異色の提督 百武源吾』p190
  12. ^ 義済会員名簿による。病のため卒業試験に出席できなかった津留雄三を含む。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 特ニ親任官ノ待遇ヲ賜フ 九州帝国大学総長 百武源吾」 アジア歴史資料センター Ref.A03023552800 
  14. ^ 『官報』第6212号「叙任及辞令」1904年3月19日。
  15. ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  16. ^ 『官報』第7329号「叙任及辞令」1907年12月2日。
  17. ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
  18. ^ 『官報』第1414号「叙任及辞令」1917年4月21日。
  19. ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」1921年1月21日。
  20. ^ 『官報』第4066号「叙任及辞令」1926年3月17日。
  21. ^ 『官報』第1212号「叙任及辞令」1931年1月16日。
  22. ^ 『官報』第2377号「叙任及辞令」1934年12月3日。
  23. ^ 『官報』第251号「叙任及辞令」1913年6月2日。
  24. ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。
  25. ^ 『官報』第2346号「叙任及辞令」1920年5月29日。


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