白翁と改名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 21:17 UTC 版)
笠原は万延元年(1860年)9月には、内願によって休息(あわせて一代限り帯刀御免)。養子健蔵が父と同様に御目見医師となった。この頃に良策を改名して「白翁」と名乗った。文久2年(1862年)12月には、それまでの医業尽力に対して年々「合力米」10俵が給されている(1866年12月10俵加増) 。 明治3年(1870年)7月から元藩五病院のうち孝顕寺病院医長介兼主務役。明治5年(1872年)6月文部省種痘免許取得 。 明治13年(1880年)8月23日、東京神田区三崎町の寓居先で死去。 大正13年(1924年)、従五位を追贈された。
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