発表までの過程
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1932年3月、プロレタリア文化運動に対しての当局の弾圧を逃れ、多喜二は非公然活動を余儀なくされた。その中で多喜二はこの作品を書き、1932年8月には『中央公論』編集部に作品を届けることができた。しかし、発表は保留されていた。編集者あての手紙によれば当初は「失業者の家」という題名を考えていたが、その後「党生活者」と改めたという。1933年2月20日に多喜二が築地警察署における拷問の結果、死去したことをうけて、編集部と貴司山治、立野信之との協議の結果、『転換時代』という題名で発表されることとなった。 このとき、内容的にも伏字が多くなることが明らかであったため、伏字なしのゲラ刷りを複数作成し、保存を依頼することとした。その中の一人の徳永直の家には、『中央公論』編集部から直接自宅に届いたのだという。また、1933年秋には原稿による組版がおこなわれ、その紙型が保存された。
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