病院で絹を燃やしてくるしみ居り
| 作 者 | |
| 季 語 | |
| 季 節 | |
| 出 典 | 絵本の空  | 
| 前 書 | |
| 評 言 |  今年の夏は心臓の手術で一ヵ月半しっかり入院させられ、文字通り<絹を燃やし>て苦しむ時間をイヤというほど味わされた。もちろん、私の場合のような、手術によって引き起された即物的な苦しみと、この作品のように、あるイメージを言語化した<くるしみ>を、同一線上のものとして論ずることは出来ないのはいうまでもない。 中七を外して読めば、病院で患者が苦しむのは当り前だから、そこまでは誰にもすんなりと理解できる。しかし、その当り前の部分へ、これもまた言葉としては当り前の、<絹を燃やして>という七文字が組み合わされたことによって、曰くいい難いあるものが補足されることになり、この作品を読むものはたちまち難解の闇に放り出され、空しくさまよい歩くことになる。 あとは俗にいう「絹を裂くような悲鳴」から想起されるものを援用することが出来るにしても、問題はそのような卑近な連想で片がつくようなものではないことは、改めてくだくだしくいうまでもないことである。 この作品に限ったことではないが、阿部完市作品は理の枠外で構成されているため、一つ一つの言葉を取り上げてみれば何も難しいことはいっていないのに、ありふれた言葉の組み合わせによって難解極まるものとなり、よい意味での分からなさが読むものを引きつける。私もその不可思議極まりない難解さ、分からなさに魅せられ、作者の掌の上で思う存分遊ばせてもらった一人である。 | 
| 評 者 | |
| 備 考 | 
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