異系図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 16:40 UTC 版)
『粕川村誌』によると、深津村(現・前橋市粕川町深津)に大胡氏系図が伝わっており、他とは異なる記述がある。成家の弟に友成があり、村の小字に名を残すという。また成家の長男・太郎の後は無く、次男の彦次郎俊光の子孫が跡を継いだとされる。俊光の子は宮内少輔光兼、その子には太郎光俊・次郎光重・左馬允光房・十郎兵衛光久があり、光重の子に孫太郎光成・盛宗・光長・光秀があった。光成は新田義貞の鎌倉攻めに参加したと伝える。光成の子は太郎光澄と範順があり、光澄は新田義宗に従い四国で戦死したとする。そして光澄の子・彦太郎は鎌倉公方足利氏満から所領を安堵されたと伝える。また左馬允光房の子には兵庫助光能があって、常陸国に住んだという。
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