町田氏(石谷氏)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/17 05:43 UTC 版)
島津氏2代当主島津忠時の七男は忠経で常陸守を称した。忠経の三男である忠光が町田氏の祖となる人物である。その後島津氏9代当主の島津忠国が町田高久に元々伊集院氏領であった石谷(現在の鹿児島市石谷町)の地を与えた。この件を発端として町田高久が伊集院煕久に殺害される事件が発生し、伊集院氏は島津氏より追放され、町田氏は再び石谷の地を領有することとなる。久倍の代になり菱刈氏討伐の功により菱刈市山地頭となり、石谷を離れるが、天正6年に伊集院地頭となり再び石谷を領する。町田氏は領地名から石谷氏とも呼ばれることもある。なお、『本藩人物誌』では、町田高久の代より石谷を号し、久倍より町田に復したと記されている。
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